s44.10.07夜 (若先生)

ただいま、限りなく美しくなりたいていう願いは同じなんですけれども、うーん、身だしなみからするおしゃれもあるし、もう一つは、うーん、美しく見せたいといういわゆる、うー、うー願いと二つあるはずなんですけど、これはもうあのー、だから信心でも同しようなことが言えると思うんです。たとえば、信心をして、一旗、一旗あげたいと、信心のおかげを、信心しておかげをいただいて、えー、まあ出世をしたいという願いの方もあるし、信心を(?)の改まる、自分が改まるために信心しておられる方があると思うんですけど。どっちがいいとか悪いとか言えないと思うんですよね。うーん、僕らもやっぱりあのー、一時期においては、これは信心して、えー、どんなおかげをいただきたいと思ってたし、また今でもそれは間違っているとは思わないし、それと同時に、やっぱり信心するっていうことは、は、自分の心があー、いよいよこう、改まっていくってことも含まっておるんですけども。えー、たとえば、ゆ、言い換えればそういう攻撃型の信心と守り型のしん、この信心があるように思う。で、お、女性の方は美しく見せたい、人に美しく見せたいというのは攻撃型であって、身だしなみであり、自分が、自分で自分が満足出来れるような、自分の、うーん、美しい顔を見る、姿を見て満足すると、これもあの、これは守り型の信心ですよね。信心で改まる、いわゆる自分で満足する、で、す。できれるような自分になりたいと願って信心するとこれは守り型の信心。おかげをいただいて、神様のお、一徳受けて、しておかげをいただこうというような攻撃的な信心。どっちが良いとか悪いとか言えないけれども、うーん、でももう合楽の信心には、その守り的な信心が強いように思う。それ、あの化粧するそれを人に見せる、良く見てもらいたいと、美しく見てもらいたいと、いう、ようなことをまあ、いけない、(だあくし?)されているような向きがあるんじゃなかろうかと思うんです。ね。決してそうじゃないと思うんです。たとえば、えー、玉水の初代なんか信心の初めは、なん、あのー、はじめられた目的ていうのは、自分はおかげをいただきたいから信心したと仰るし、今も、たとえば20数年後に聞かれても、今でもそれは間違ってないと仰る、おか、今でもおかげをいただきたいから信心しとるんじゃというようなことを仰っておられる。間違いじゃないと思うですね、信心は。やっぱりおかげの追求であり、そのためには磨き、かねばならないし、改まねばならないというようなことだと。ただ、あのー、特にあの、これは合楽に限らずですけどね、あー、日本人の性格としての、そういうふうな、まあいったような攻撃的な信心姿勢というのを嫌う向きがある。ですけどね。一つそういうところも開拓していかなきゃならないとこじゃないかと思いますね。